
なかなかのルーティン化された生活を送っている気がする。
土日はともかく、平日は何かと決まったことをやっている。
朝起きて、仕事をして、帰ってきて、食事をして、絵を描く。
まあ、こう書くと大層な生活をしているようにも見えるけれど、実際にはそんなにやることはない。
むしろ、あれこれ予定を詰め込んでいるわけでもない。
それでも、料理と絵だけは毎日やる。
これはいつの間にか、自分の生活の中に定着してきた。
料理をする。
食べる。
そして絵を描く。
毎日同じようなことを繰り返しているようだけれど、案外こういうものが「生きる」ということなのかもしれない。
何か大きな目標に向かって、毎日ものすごいことをしているわけではない。
ただ、今日も飯を作って、今日も絵を描いた。
それだけ。
でも、その「それだけ」が積み重なっていく。
昨日も生きた。
今日も生きている。
そして明日も生きていく。
そう考えると、ルーティンというのも悪くない。
むしろ、生活の土台になってくれているのかもしれない。
料理をしていると、食べ物についても考えるようになる。
野菜を切って、肉を焼いて、米を炊く。
当たり前のようにやっているけれど、その一つひとつが自分の身体を作っている。
そして何より、そこには命がある。
野菜も、肉も、魚も、いろいろなものから自分は力をもらっている。
食べるというのは、ただ空腹を満たすだけじゃない。
大切な命をいただいて、自分が生きるための力に変えている。
そう考えると、やっぱり感謝は忘れたくない。
「いただきます」と言って食べる。
そして、今日も元気に動けることをありがたいと思う。
そういう感覚を持ちながら生活していきたい。
……とはいえ。
人間というのは、なかなか欲深い。
いや、俺が欲深いだけなのかもしれない。
これが欲しい。
あれも欲しい。
もっと絵が上手くなりたい。
もっと絵を描きたい。
もっと作品を売りたい。
もっと自由になりたい。
もっといろんなものを見たい。
あーだこーだと、次から次へと欲しくなってくる。
一つ手に入ったら、今度は別のものが欲しくなる。
「これだけあれば十分だ」と思ったはずなのに、しばらくするとまた何かを探している。
人間の欲というのは、なかなか終わらない。
だからこそ、ときどき立ち止まる必要があるのだろう。
今、自分には何があるのか。
今日、何を食べたのか。
ちゃんと眠れたのか。
絵を描けたのか。
誰かと笑えたのか。
そういうものを、一度ちゃんと見てみる。
欲しいものを追いかけることが悪いわけじゃない。
夢も欲しい。
お金も欲しい。
いい絵も描きたい。
いろんな場所にも行ってみたい。
そういう欲があるから、人間は動くことができる。
ただ、その一方で、すでに持っているものにも気づいていたい。
今日も料理ができた。
今日も食べることができた。
今日も絵を描くことができた。
それだけでも、ちゃんと一日を生きている。
欲深いままでいい。
あれが欲しい、これが欲しいと言いながら、それでも今あるものには感謝する。
そんなふうに生きていけばいいのかもしれない。
今日も飯を食べて、絵を描いた。
明日もたぶん、同じことをする。
そして、その繰り返しの中から、何か新しいものが生まれてくる。
生きるとは、案外そういうことなのかもしれない。