
人にやさしくするっていうのはなぁ。
なかなか難しいものさ。
感情があるからね。
みんなに同じように接するなんて、そう簡単にはいかない。
そんなことを考えていたら、猫のサムがいた。
サムは、何も考えていないような顔をしている。
勝手に歩き、勝手に寝て、腹が減れば甘えてくる。
実に自由だ。
もしかすると、人間よりずっと賢いのかもしれない。
人にやさしくする。
言葉にすると、とても簡単なことのように思える。
けれど、実際にやってみると、これがなかなか難しい。
なぜなら、人には感情があるからだ。
自分の機嫌がいい日もあれば、なんとなく疲れている日もある。
余裕があるときなら笑って受け止められることでも、疲れているときには、ちょっとした一言が気になってしまう。
「みんなに同じようにやさしくする」
これができたら立派なのだろうけど、なかなかそうはいかない。
人間だもの。そこで、ふと思う。どうしたら、もっと自然に人にやさしくできるのだろうか。
考えてみても、答えはなかなか出てこない。
「あなたはどう思う?」
そう聞かれても、「いやぁ……困ったね」
となってしまう。
そんなとき、私は猫を見たんだ。
猫は実に自由だ。好きなところへ歩いていく。呼んでも来ない。
こっちが忙しくしているときに限って、突然甘えてくる。
そして、満足したらどこかへ行ってしまう。
なんとも勝手な生き物である。
けれど、それがまたいい。
猫は、
「今日はこの人にはこう接して、明日はあの人にはこうして……」
なんて、いちいち考えていない。
ただ、自分らしく生きている。
甘えたいときは甘える。
眠たいときは眠る。
遊びたいときは遊ぶ。
嫌なものからは離れる。
それでいて、誰かを傷つけようとしているわけでもない。
もしかすると、人間もこれくらいでいいのかもしれない。
あれこれ考えすぎて、
「もっと気を遣わなければ」
「嫌われないようにしなければ」
「ちゃんとした人間でいなければ」
と、自分を縛りつけてしまう。
もちろん、人に迷惑をかけないことは大切だ。
自分が自由に生きることと、好き勝手に人を傷つけることは違う。
そこだけは忘れない。
でも、それ以外のところまで難しく考える必要はないのかもしれない。
人にやさしくしたい。
そう思ったら、できる範囲でやってみる。
誰かが困っていたら声をかける。
ありがとうと言う。
誰かが頑張っていたら、それを認める。
それだけでもいい。
毎回完璧にやさしくできなくてもいい。
疲れている日は、自分を休ませてもいい。
気を遣いすぎて苦しくなったら、少し離れてもいい。
自由でいいのだ。
たぶん、やさしさというのは、無理して作るものではない。
自分に少し余裕があるからこそ、誰かに手を差し出せる。
だからまず、自分自身を大切にする。
そして余った力で、誰かに少しやさしくする。
そのくらいでいいのではないだろうか。
猫を見ながら、そんなことを考えた。
「お前は自由でいいなぁ」
そう言ったら、猫は知らん顔をして歩いていった。
……まあ、それでいい。自由に生きよう。
人に迷惑をかけないようにだけ気をつけて。そして、できるときには、ちょっとだけやさしく。
それくらいが、人間にはちょうどいいのかもしれない。