
かつて、ひとりの旅人がいた。彼は己の力を信じていた。
いや――正確には、己の力を信じているつもりだった。
強き者の歩みを見れば、それを真似た。
勝者の言葉を聞けば、それを己の言葉とした。
名を上げた者の武器を見れば、それを手にした。
「彼がこれで勝ったのなら、俺も同じようにすればいい」
そう考えていた。
それは、狭間の地では珍しいことではない。
誰もが誰かの背中を追う。
黄金の英雄を見れば、その剣を欲しがる。
魔術師を見れば、その知恵を欲しがる。
王を見れば、その王冠を欲しがる。
だが――
他者の道を歩いた者は、他者の終着点にしか辿り着けぬ!
その旅人も、やがて痛い目を見ることになる。
ある戦いで、彼は完膚なきまでに敗れた。
武器は砕け、仲間を失い、積み上げてきた自信までもが崩れた。
それは、小さな失敗ではなかった。
己の考えそのものを疑わねばならぬほどの敗北だった。
夜・・・灰の降る野営地で、彼は一人、折れた剣を眺めていた。
そして気づく。
「俺は……何を知っていた?」答えは、ほとんどなかった。
知っていると思っていた。できると思っていた。
わかっているつもりだった。それらの多くは、誰かから借りてきたものだった。
誰かの成功。誰かの言葉。誰かの方法。
それを己の経験であるかのように扱っていた。
だから、折れた。その夜、旅人は一つの掟を刻んだ。
「人のまねをして、己の成功を得ようとしてはならぬ」
人の歩みを見るな、という意味ではない。むしろ逆だ。強者から学べ。賢者から学べ。敗者からも学べ。
だが――最後に決めるのは、自分自身だ。
他人の成功は、その者の身体、その者の時代、その者の環境、その者の才能、その者の失敗の上に築かれている。
それをそのまま己に移植したところで、同じ結果になる保証などない。
だから旅人は、もう一つの掟を刻んだ。
「わかっているものと、わからぬものとの境界を明らかにせよ」
これは簡単なようで、最も難しい。人は、知らぬことを知らぬと言えない。理解していないことを、理解していると思い込む。
経験していないことを、経験した者の言葉だけで判断する。そして、その境界が曖昧になったとき、人は道を失う。
だから旅人は、何かを考えるたびに自分へ問いかける。
「これは、俺が実際に知っていることか?」
「それとも、誰かから聞いただけのことか?」
「これは経験したことか?」
「まだ知らぬことではないのか?」
そうして一つずつ、境界線を引いていった。
知っているものには、石を置く。
知らないものには、何も置かない。
わからないなら、わからないままにする。
それは敗北ではない。
むしろ――
未知を未知として認める者だけが、その先へ進める。
やがて旅人は再び歩き始めた。
以前とは違う。
もう誰かの背中を追ってはいなかった。
誰かの剣を羨むこともなかった。
己の足で歩き、己の目で確かめ、己の手で失敗する。
そして、失敗するたびに一つずつ掟を増やしていった。
一度の失敗は、ただの傷ではない。
そこから何も学ばなければ、ただの傷として終わる。
だが、その痛みを言葉にし、次の行動を変えるなら――
それは生涯、己を守る掟となる。だから恐れるな。手痛い失敗を。恥じるな。
己の無知を。誰かのようになれなかったことを、敗北と呼ぶ必要もない。
重要なのは、その敗北から何を持ち帰るかだ。黄金の欠片でなくていい。
名誉でなくていい。ただ一つ。
「二度と同じ過ちを繰り返さぬための掟」それを持ち帰れ。
そして、その掟を胸に刻み、再び歩け。狭間の地では、死ぬことさえ終わりではない。
まして、一度の敗北など――
長き旅の中では、次の一歩を決めるための灯火にすぎぬのだから。