パンという塩梅な思考
本日の朝はトーストを食べたかった。
朝起きたけど、まだ眠かったから寝てしまった。夢は見たかな。見てないや。
多分・・・忘れた。
僕の作るトーストとは、普通の食パンのことだが、これにチーズをのせて焼く。
ちょうど少し焦げたカリカリのパンが好きだから、結構焦がす。
少しなのか結構なのか、自分でもわからないところだけど、これがまた塩梅なところだ。
ちょうどいい焦げなんてないのだから。
そして、チーズも割と焦げる。チーズは正直焦げようが、焦げまいがどっちもでいい。
だけど、食べたときにちょっと伸びるチーズのほうが僕は好きだった。
そのうえに、はちみつをかける。まだ焼いたばかりの時は熱いから、ハチミツもドロドロに溶けていく。
結構水っぽくなるんだこれが。
意外と溶けやすかったりする。
そしてそのお供に、コーヒーさ。
コーヒーとミルクを少し注ぐ。
んー一番おいしいコーヒーとミルクの間は、そうだな。2:1か3:1。
もちろんコーヒーのほうが多めでね。
ミルクを入れない完全なるコーヒーだとちょっと苦くて飲めないんだ。
だからミルクを入れる。
ちょっととか、少しとか、多めとか。
なんかそういうのって難しいけど、たぶん自分の感覚だ。
自分のちょっとと、人のちょっとは違うからね。
ここでは、塩梅とか言ったりしてるけど、それがズレているかもしれないし。
自分のとっての、少し、多め。感覚を研ぎ澄まして、塩梅を探す。
この言葉もそうだ、味つけに塩と梅を入れたときに、ちょうどいい味を探していたそうだ。
だから塩梅っていうのは、自分の感覚だ。
そんなことを考えていながら、作ったパンとコーヒーを飲む。
そうしている間に、パンは少し冷めていた。
ただ、冷めていることに塩梅なんてものはなかった。
朝はバタバタしているけど、そんなこんなで自由になりたいと考えている。
自由とは何か、もっと時間を大切にしたいってこと。
1秒1秒 感覚的に生きる。これだ。これなのだ。
できるかもしれないし、できないかもしれない。
ただこの1秒で何文字打てているのかを意識する。
それだそれだそれだ。
この記事だって、すぐにかけるはずだ。
暇なときにふっと思ったことをかけばすんなりいけるはずだ。
考える必要はない。
何かもっと詩みたいな記事にしたいな。
無駄な詩
朝日が昇るとき、われは目覚めた。起きるなり、小麦を練ったもの、そうパンが食べたくなったのだ。
そこに天からの発行物、チーズである。チーズをのせて焼く。ただひたすら。
そうすると色がつくだろうに、小麦色ってやつか?小麦の上に置いてある小麦色の何か。そのうえにまた小麦色の液体をかける。
はちみつと、チーズと、パンだ。すべてひっくるめて小麦色の何かと僕は呼んだ。
その味はどうだ、ちょうどいいか?ちょうどいいおいしさを求めるのはどこか、酔狂じゃないか?
究極なる、ちょうどいい塩梅を探す旅にでかけるのも良いだろうね。
豆からとった飲み物に、牛から取ったミルクを入れる。
木で象ったスプーンで、ゆっくり混ぜる。このときに考えていることはこうだ、ちょうどいいものを探す。
パンはすっかり冷めきっていた。
それでもおいしいと感じるし、ゴクゴクゴクと、飲み物を口の注いだ。