
価値
鏡があるから、自分を知った気になる。
他人がいるから、自分を理解した気になる。
だが、本当に見えているのは、相手に映った自分なのだろうか。
私はあなたを見ている。あなたも私を見ている。
その二つの視線が交わっても、互いの心だけは決して見えない。だから人は言葉を探す。
絵を描く。
音楽を奏でる。宝石は高価である。石ころは安い。そう決めたのは自然ではない。
人間だ。もし世界から人間がいなくなれば、宝石も石ころも、ただそこにあるだけになる。
価値とは、物に宿るものではない。
見る者の心に宿るものなのだ。
腐葉の晩餐
話は変わる。ちょうど・・・戯言となる。
白い菜は、朽ちようとしていた。誰もが終わりを見た。
瑞々しさを失い、葉はしおれ、生命は静かに土へ還ろうとしていた。
だが、終わりとは本当に終わりなのだろうか。
私はその葉を切り落とし、熱湯へ沈めた。
火は滅びではない。姿を変えるための儀式である。
しばらくして器へ移し、一滴の美味を落とす。
その瞬間、眠っていた命は再び香りとなって立ち上がった。
人は新しいものを求める。傷ひとつない野菜を選び、少し傷めば価値を失ったと言う。
だが、本当の価値は、その先にあるのではないか。
朽ちかけた白い菜は、食卓で最も深い味を残した。
美しさは若さではない。価値は見た目でもない。
役目を終える、その最後の一瞬まで何かを与えられるものだけが、本当に生きた者なのだ。
だから私は思う。人もまた同じではないか。少し傷つき、少し疲れ、それでも誰かを温めることができるのなら。
その人生は、決して色褪せてはいないのだから。
味を変えてみろ、ご賞味あれ。