
物語の背景は・・・いかに。
うっすらと描く線に、幻想が生まれる
最近、絵を描いていて面白いと思っていることがある。
線を、がっつり描かないことだ。
今回の絵は、まずHの硬さの鉛筆で下書きをしている。
最初から完成形を決め込んでいるわけではない。人物の形を探しながら、髪の流れを考えたり、隣にいる大きな生き物の身体を考えたりしながら、少しずつ線を置いていく。
鉛筆で描いている段階では、線がかなり薄い。
それでも、この薄い線が結構好きだ。
下書きだから消してしまう。
普通なら、次の工程へ進むための途中段階として考えるところだと思う。
けれど最近は、この鉛筆の線そのものを残してもいいんじゃないかと思うようになってきた。
そして、その上から0.03のミリペンで線を入れていく。
0.03。
かなり細い。
この細いペンで鉛筆の線をなぞるように描いていく。
ただし、全部をきっちりなぞるわけではない。
ここが今回、自分の中で面白いところだ。
輪郭を完全に決めない。
強く黒い線を引いて、形を「これだ」と確定させるのではなく、うっすらと輪郭を描く。
線があるような、ないような。
近くで見ると確かに線がある。
でも少し離れて見ると、鉛筆の線と混ざって、境界がぼんやりしている。
この感じが、なんだか幻想的なのだ。
絵というのは、輪郭をはっきりさせればさせるほど、ものの存在が強くなる。
ここからここまでが髪。
ここが顔。
ここが身体。
ここに生き物がいる。
そうやって線を強くしていけば、見る人にも形が伝わりやすくなる。
それはそれで、とても大切なことだ。
でも、ファンタジーの絵を描いていると、ときどき逆のことをしたくなる。
存在を、少し曖昧にする。
全部を見せない。
全部を説明しない。
輪郭を少しだけ消しておく。
すると、そこに何かが生まれる。
「この先はどうなっているんだろう」
「この髪の毛はどこまで続いているんだろう」
「この生き物は、いったいどこから現れたんだろう」
そういう想像が入る余地ができる。
今回の絵でも、女の子の髪や、その後ろにいる大きな生き物の輪郭を、全部強く描いているわけではない。
ところどころ鉛筆の線が残っていて、細いミリペンの線がその上に重なっている。
この二つが混ざることで、普通のペン画とは少し違った空気が出ているような気がする。
鉛筆の柔らかさと、ミリペンの細い線。
その間に、幻想がある。
そして、このあと色を塗っていく。
ここからどう変わるのか、自分でも楽しみだ。
色を入れれば、当然もっと完成された絵になっていく。
でも、そこで鉛筆の味まで全部消してしまう必要はないのかもしれない。
むしろ、少しくらい残しておく。
鉛筆の跡。
迷った線。
薄く残った輪郭。
その上に、細いペンの線。
そして、そのさらに上に色が重なっていく。
そうすると、一枚の絵の中にいくつもの時間が残る。
最初に鉛筆で考えた時間。
線を探した時間。
ミリペンで形を拾った時間。
そして最後に色を置く時間。
全部が一枚の紙の中に残る。
それもまた、絵の面白さなのかもしれない。
0.03のミリペンという細い道具を使っていると、線そのものにも表情があることに気づく。
細いからこそ、強く主張しない。
それなのに、そこに確かに存在している。
髪の毛の一本。
まつ毛。
服のシワ。
生き物の毛並み。
小さな装飾。
そういうものを細い線で拾っていくと、少しずつ絵の中に何かが現れてくる。
わき出てくるような美しさ。
最初から「美しいものを描こう」としているわけではない。
ただ、線を一本置く。
もう一本置く。
必要なところだけ、また一本。
そうやって描いているうちに、いつの間にか何かが浮かび上がってくる。
それが面白い。
絵を描くというのは、すべてを自分の力で作り上げることだと思っていたけれど、もしかすると少し違うのかもしれない。
紙の上にあるものを、少しずつ見つけていく。
そんな感覚もある。
だから、しばらくはこの描き方を試してみたい。
Hの鉛筆で薄く描く。
0.03のミリペンで、必要なところだけ拾う。
輪郭を全部はっきりさせない。
鉛筆の味も残してみる。
そして、その上から色を重ねていく。
完成された線ではなく、生まれかけの線を残す。
その曖昧さが、幻想の世界には似合う気がする。
はっきり見えるものだけが美しいわけじゃない。
見えそうで見えないもの。
消えそうで消えないもの。
そこに何かを感じることがある。
細い0.03の線が、鉛筆の淡い跡から何かをすくい上げる。
そして、その線の向こう側から、
まだ名前のない美しさが、
少しずつ、
わき出てくる。