
土曜日は絵のショートストーリーを紹介。
海は、命を育む場所だと人は言う。
だが、それは海面に陽が届く世界だけの話だった。
光の届かない深淵には、誰にも祈られることのない神々が眠っている。
少女は、その神々に選ばれた最後の巫女だった。
儀式の日、頭上に降りた一匹の深海獣は、彼女の髪へ静かに身を預けた。
叫び声はなかった。
痛みさえもなかった。
ただ、二つの命は境界を失い、一つの存在へと姿を変えた。
以来、彼女は海の声を聞くようになる。
潮の流れ、沈んだ船の記憶、海底に眠る王国の滅び。
そのすべてが、夢ではなく現実として心へ流れ込んでくる。
人々は彼女を怪物と呼び、港から追い払った。
しかし彼女は怒ることも、悲しむこともなかった。
深淵の神は、人の言葉よりも静かな波音を愛していたからだ。
夜になると彼女は崖へ立ち、誰にも聞こえない祈りを海へ返す。
その祈りが終わるたび、沖合では一隻の船が霧の中へ姿を消すという。
だから漁師たちは今も、月のない夜だけは決して海へ出ない。
深淵の巫女が、まだ海と語り続けていることを知っているから。