
どうやら、我が家のクローゼットに異変が起きていた。
原因は、おそらく湿気。
扉を開けてみれば、そこには見慣れぬものがいる。
緑色の何か。
……カビである。
いや、こいつはやばいぜ。
見るからに気味の悪い生物だ。
もちろん、カビが悪いわけではない。
カビにはカビの事情があるのだろう。
森の奥で、朽ちた木々を分解しているのかもしれない。
地面に落ちた葉を土へ還しているのかもしれない。
そう考えれば、自然界では大切な役割を担っている存在なのだろう。
だがしかし。
ここは我が家である。
クローゼットである。
木材の棚の周りに、緑色の軍団を形成するのはやめていただきたい。
しかも、棚の外側だけではなかった。
中にもいる。
「お前、いつからそこにいたんだ?」
思わずそう問いかけたくなる。
どうやら私は、知らないうちにクローゼットの奥へ小さな森を育ててしまっていたらしい。
これはいかん。
急いで拭く。
そして片付ける。
問題の棚は外へ出すことにした。
もともとは、部屋に置いておくと邪魔だからという理由でクローゼットの中へ収納していた。
しかし、それがどうやら良くなかったらしい。
物をしまえば部屋は広くなる。
これは間違いない。
だが、クローゼットの中に物を詰め込めば、その場所に空気が通らなくなる。
湿気も逃げにくくなる。
そして、気づいたときには――
緑の軍団が現れる。
恐ろしい。
しかも不思議なのは、同じように木材でできた棚が、ほかにもあることだ。
ところが、そちらは今のところ大丈夫。
なぜだ?
同じ部屋にある。
同じ空気に触れている。
それなのに、片方にはカビが生えて、もう片方には生えていない。
木材の種類によって違うのだろうか。
置いてあった場所の違いなのだろうか。
湿気の溜まり方なのか。
それとも、棚と壁の距離?
考えてみると、カビというのもなかなか謎の存在である。
ある日、突然そこにいるように見える。
だが、本当に突然現れたわけではないのだろう。
目には見えないほど小さなものが、どこからかやってきて、条件が整った場所で少しずつ増えていく。
そしてある日、
「おや?」
と人間が気づく。
その頃には、もう仲間がたくさんいる。
まさに軍団である。
最初は一人だったのかもしれない。
いや、一人という表現が正しいのかも分からない。
小さな胞子が空気中を漂い、どこかへ降り立つ。
そこが湿っていて、温度も都合がよく、栄養になるものがあれば、そこで暮らし始める。
そうして少しずつ増えていく。
なんとも不思議な生き物だ。
我々人間が見ていないところでも、世界はちゃんと動いている。
クローゼットの中でさえ、小さな生命の営みがある。
……とはいえ。
だからといって、歓迎するわけにはいかない。
我が家には、我が家の掟がある。
緑の森を作るなら、外でやっていただきたい。
ということで、今後はなるべくクローゼットを開けておこうと思う。
物を詰め込みすぎない。
空気を通す。
湿気をこもらせない。
そして、ときどき様子を見る。
今回のことで、収納というものについて少し考えさせられた。
物を片付ければ、それで終わりではない。
見えないところにしまったものほど、その周りの環境を考えなければならない。
特に湿気というものは厄介だ。
人間には見えない。
音もしない。
「ここにいますよ」と教えてもくれない。
ただ静かに、そこにいる。
そして条件が揃えば、カビという形になって姿を現す。
まるでダンジョンの奥に潜んでいた魔物のようである。
普段は何もないと思っていた場所。
しかし、扉を開けてみれば、そこには別の世界が広がっていた。
今回の敵は、ドラゴンでも魔王でもなかった。
緑色の小さな軍団。
カビである。
自然界では静かに役目を果たしている、名もなき住人たち。
だが、我が家では話が違う。
私は今日、彼らの侵入を知った。
そして棚を外へ運び出した。
クローゼットを少し開ける。
空気を入れる。
余計なものを減らす。
それだけでも、きっと違う。
生活というものは、こういう小さな戦いの積み重ねなのかもしれない。
今日のところは、ひとまず勝利。
しかし油断はできない。
クローゼットの奥には、まだ何かが潜んでいるかもしれない。
明日も扉を開けてみよう。
緑の軍団が再び現れないことを祈りながら。